しんのすけの母みさえに抱くシンパシー。
私は、「クレヨンしんちゃん」のしんのすけの母や「ドラえもん」のび太のママにシンパシーを感じてしまう。
私自身、手こそ上げないが、毎日子供たちに向かってガミガミお小言ばかり口にしており、反省と後悔、自己嫌悪を繰り返す毎日を送っている。
特別、怒りの沸点の低いところ。
冷静に「諭す」でも「注意する」でもなく、感情的に「お説教」をしてしまうところ。何より「子供が何かやらかす・すべきことをしていない」前提で子供たちに声掛けをしてしまうところが、我ながらよく似ていると思う。
もっとも、だからと言って、全面的に「わかる!わかる!!」「しょうがないよね」とはならない。
さすがに、げんこつはなしだと思うし、叱った後のアフターフォローがないのもなしだと思う。
しんのすけの場合は特に、神経が図太いというかあっけらかんとした性格のおかげで、みさえのお小言に落ち込んだりナーバスになっている描写が作中にはない。だが、さすがに、5歳児相手に常に叱りっぱなしで良いわけでは決してないだろうとも思う。
つい先日、非常に耳の痛い記事を読んだ。
みさえの場合ものび太のママの場合も、理由もなくめったやたらに雷を落としているわけでは決してない。
ないが、しんのすけやのび太には、母親から大人から見た「イライラポイント」たくさんあるが故の、彼女たちの怒りだ。
しんのすけやのび太は、よく言えば「子供らしい子供」であり、悪く言えば「問題のある、手のかかる子供」でもある。
「問題のある、手のかかる子供」だかと言って、常に叱っていいわけでは決してない。
ないが、10ある内の1回や2回の失敗に対しての注意より、10ある内の10回や9回の失敗に対しての注意のほうが、より過激と言うか厳しくなってしまうのは致し方ないのでは、と自分に都合よく解釈してしまいたくなる自分が正直いる。
そこをぐっとこらえ、冷静に、理路整然と教え諭すのが親の務めであり役割だ。
とは言え、それがなかなか難しいのが現実だ。
故に「体罰をしつけの一環」と堂々と主張する人間がまだまだいたりもする。
卵が先か、鶏が先か。
「問題のある、手のかかる子供」だから母親が口うるさくなるのか。
母親が口うるさいから、「問題のある、手のかかる子供」になってしまうのか。
例えば、「クレヨンしんちゃん」の中でも、優等生キャラの風間君、問題行動を基本起こさないまさお君やねねちゃんのママは我が子に対しては穏やかだ。そのくせ、ねねちゃんのママなどは、しんちゃんに対しては別人のような態度や表情を見せる。
「ドラえもん」の中でも、親の言うことを比較的よく聞くタイプのしずかちゃんやスネ夫のママは「理解のある母親」として描かれているが、逆のタイプのジャイアンの母ちゃんはのび太のママと同様「口うるさい母親」として描かれている。
確かに子供に対して、言い方を変えるだけで、子供は劇的大人の言うことを聞くようになる。
環境を整えたり、やり方を変えたりするだけも違ってくる。
ただ、それがなかなかできないのだ。私には。だから、私は悩むし落ち込むし後悔する。
昨夜も、感情的に子供を叱ってしまった際、夫に「イライラするな!!」と注意を受けた。
そのくせ、夫も朝から次女に大声をあげていたのだけれども。
私は自分がイライラしやすく、感情的になりやすいのを自覚している。そのため、感情的に叱ってしまっても、冷静さを取り戻したタイミングで、都度きちんと子供たちの目を見て頭を下げ謝るようにはしている。
一方で、夫はそれをしない。怒ったら怒りっぱなしだ。
そのためその後のフォローを。子供のメンタルの面を考えて、私が極力している。内心癪ではあるが、その点子供のためと割り切っている。
先日、次女の幼稚園経由でスクールカウンセラーをしている心理士の先生に相談に乗ってもらう機会があった。その先生は「叱りたいところを褒める」を推奨していて、私ももその考えに共感し、実践する努力をしている。
その際、「ついイライラしてしまう」「イライラするポイントやタイミングは理解・自覚している」「アンガーマネジメントが上手くできない」点を相談した。すると、先生から「イライラするのは、置かれている環境に限界があるから。環境を変えることも考えるべきだ」とのアドバイスをもらった。
私の場合、その場で第三者から「その言い方は間違っているよ」とか「そこは怒るところじゃないよ」と指摘されないと、ヒートアップしているとき、私は上手く自分をコントロールできない。
そんな自分が非常にもどかしく、故に、件の記事には改めて自分を考えさせれられた。