自分が要求されたことを、相手に要求したくなる欲求。
インスタントラーメンの広告漫画が話題になっている、らしい。
ラーメンに具が乗っていないのが批判の理由かなと思って読み進めてみたが違った。後半の、帰宅後の妻と夫が一緒になってお皿を洗っているシーンについて賛否が分かれる形になってしまったらしい。
私自身は、このシーンを見て「ほっこり」しなかった人間だ。
まだまだ次女に、そうして長女にも手がかかり、かつ仕事を始めた私としては、同じ状況に置かれた際、妻の立場として「ほっこり」はしなかったろうと、容易に想像できたからだ。
おそらく、この漫画に賛否が分かれているのには、この漫画テイストゆえ に、「父親のワンオペ育児の必死さ」が伝わってこないのも理由にあるように思う。子供はおとなしく座って、しかもフォークできれいにテーブルや床を汚すことなくラーメンを食べ、帰宅時には同じくおとなしくテレビを見ている(ように読者には見える)。おまけに、部屋は散らかっていない。
妻の帰宅時、カーテンがかかっていることから、夜もしくは夕方であると想像できる。だが、妻の外出の理由が示唆されていない。
もしこれが「妻が友達と遊びに行った」だったら、との想像を膨らませる余地があったのも大きいのかもしれない。
だが、「夫が友達と遊びに行った」場合、妻は「育児だけ」で済まされるだろうか??夫は、帰宅後当然のように家事をするだろうか??
疑問は残る。
私自身、一人でばたばたとこなす家事と育児の大変さは骨身にしみている。
だからこそ、と言うべきか。その大変なワンオペ育児を当たり前のように要求されてきたからこそ、相手にも他人にも要求したくなる自分がいる。
自分自身が「ワンオペ育児プラス家事」を要求された相手と、目の前のしたい相手は必ずしも一致しないのかもしれないけれども。
少なくとも、私は夫に時折無性に「ワンオペ育児プラス家事」を要求したくなる。その理由は、私自身が夫にそれを要求され続けてきたからだ。
姑が、若かりし頃自分の姑に「嫁いびり」をされた復讐に、自分の嫁に「嫁いびり」をしたくなるのとちょっと似ているのかもしれない。
いや、正確には老いた姑を「姑いびり」し返したくなる気持ちのほうが近いように思う。
嫁いびりの張本人である姑が、嫁にいびられ返されるさまを見て「かわいそう」「そんなこといちいち指摘しなくたって」と擁護する価値観を、私は持ち合わせていない。
もっとも「負の連鎖」を生む意味で、非常に非生産的な思考ではあるのだろうけれども。