日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

離婚で自由になれると考える男たち。

子供を持つ男性が離婚を語るとき、離婚後の色々な意味での「自由」を語る人は多い。

一方で、子供を持つ女性が離婚を語るとき、離婚後の色々な意味での「不安」を露土する人が多い。

そこには、親権が母親に偏っているが故の、認識の差がある。

育児にはお金がかかる。同時に時間も必要だ。働き方が制限される一方で、出て行くお金は増えるのだから当然だ。

 

 

子供を持つ夫婦が離婚を決めるとき、約8割の夫婦が親権者として「母親」を選ぶ。以下、データは古いが(平成10年のもの)厚生労省が出す数字だ。

www.mhlw.go.jp

 

イメージだけでなく、データとしても離婚後親権を持ち子供を育てるのは、女性に偏っていることが証明されている。

 

ゆえに、と言うべきか。

ネット上でしばし見かける、自らの離婚を語る男性の中には、

「離婚後は、あらゆるしがらみから(夫婦関係や、家事・育児等々から)自由になれる」

と語る人がる。

そこには、「父親である自分が親権を取れないことへの悲観」から自暴自棄に似た悲しみと同時に、「経済的責任・親としての責任からの解放」から自由な生活への喜びが複雑に絡まっている。

もっとも、親権を取れないことで、子供とも交流が絶たれるデメリットは当然ある。とは言え、面会権は当然の権利としてあるわけで、きちんと養育費を払い妻と良好な関係を気付けていれば、金銭面以外で父親としての役割を果たすのは可能だ。

 

けれども、悲しい事に、それらの義務や選択を放棄し、「自由」を得られた嬉しさを喜々として語る人がいる。

 

私は一人の母親として、子供の愛おしさと同時に、育児の大変さもよく知っている。

よく知っているからこそ、子供と離れて暮らす生活を「自由」と表現される現実に、言いようのない違和感を抱いてしまう。

 

 先日見つけたエントリーでも、私は同様の違和感を抱いた。
anond.hatelabo.jp

子供が生まれたことで、夫の仕事に安定を望むようになった妻。

自分のキャリアを追求するあまり、家庭が妻子の存在が二の次になった夫。

二人の求める未来は交わることがなく、投稿者(夫)はそもそもの結婚と言う自分の選択を後悔しつつ、離婚が最善の解決策だと結論付けている。

 

コメント欄は、

  • 投稿者の選択を受け入れ後押しする意見
  • 投稿者の選択を受けいられらレズ非難する意見
  • そもそも論として、投稿者の妻の覚悟のなさ、気持ちの変化を非難する意見(妻は夫の仕事の不安定さを承知のうえで結婚をしているため)

など様々な意見が並んでいる。

 

私はかつて、似たようなエントリー(投稿者の女性が、不倫をした夫に愛想を尽かせ、子供が夫に似ていることから、執権を手放し離婚を選択した話)に、投稿者の選択にエールを送るコメントを残している。

 

 一方、今回のエントリーには投稿者に対し否定的なコメントを残している。

 

ダブルバインド、なのだろうか??

おそらく私の中で、「子供を育てるのは母親でなければならない」との固定概念に、異和感を覚えているからこその、違いであり差なのだと思う。

 

妻側に非があったり、妻の家事・育児能力に疑問や不安を抱えていても、夫が積極的に親権を争わなかったり、必要十分な養育費をきちんと払うことで金銭面で子供の心身の健康をサポートする選択をしないケースも多いと聞く。

 

だからこその、モヤモヤであり、違和感なのだろう。