苦手意識のある言動をベストの解決策だと提示されることへの抵抗感。
次女は日曜日から。私は一昨日の晩から体調を崩している。私も次女も今は体調がある程度回復しているが、念のため次女は(下痢が収まるまで)幼稚園を休ませている。
長女も昨日腹痛を訴え、一日だけ小学校を休んだ。今日は元気に学校に行っている。
昨日長女を小児科に連れて行った際、待合室で目にした主婦向け雑誌にこんな相談が載っていていた。
よくある「体調を崩した妻(主婦)に、夫が晩御飯は??と質問する行為への不満について」だ。
「自分で考えて行動して欲しい」と訴える相談者の女性に対し、
- 男性は察して行動するのが苦手。
- 旦那さんは家事は妻の領域だと考えているのでは??
- 具体的に指示を出してあげましょう。
- 一緒になって、教えながら料理を作ってあげましょう。
などといった、男性の事情や心情を慮った丁寧な解説とアドバイスが寄せられていた。
この手の相談に対するアドバイスは決して目新しいものではない。
「人は変えられない、変えられるのは自分の言動と考え方だけだ」との正論に忠実な、非常に現実的な解決策だ。
けれども、体調の悪い時にこの手の相談とアドバイスを目にするのは正直きつかった。私にとって、この解決策は、元気な時でさえ、非常に難しく簡単には実行できない。
故に、体調の悪い時にはその難易度は格段に上がる。
私は何かを人に頼むときに「相手のタイミングを見て」「感情的にならず」「具体的に」「言葉を選んで」お願いするのがとても苦手だ。
私にとって「何かを頼む時」=「自分に余裕がない時」であるケースが多い。だからこその問題でもあるのだろう。
もし、これが夫側からの相談だったらどうだろう??
「体調を崩した妻に、晩御飯の相談をしたらすごく不機嫌になられた」との相談だったならば。
- 女性は具体的に指示を出すのが苦手。
- 妻の体調不良と言う非常事態において、家事を妻の領域と考えるのは間違い。
- 妻の立場に自分を置き換えて、察して行動してあげましょう。
- 材料の調達からレシピの検索、調理、片づけまで一人でしましょう。
となるのだろうか??
ちょっと考えてしまった。
その回答、アドバイスに世の「察するのが苦手な男性」は納得するのだろうか??と。
理想はお互い「察し合いつつ」「具体的に指示を出し合いつつ」なのだろう。
「察するのが苦手」だからと言って自分が常に「具体的に指示を出している」わけではない。
その逆も然りで「具体的に指示を出すのが苦手」だからと言って自分が常に的確に「察して行動している」わけでもない。
私がこの手の相談とアドバイスに抵抗感があるのは、ずばり「苦手意識のある言動をベストの解決策だと提示される」からだ。
もっと言えば、変わるのが「自分」に限定されるからだ。
悩み相談の回答としたら、当たり前と言えば当たり前なのだけれども。そこへの抵抗感がどうしても拭えない自分がまだまだいる。
もっと超越した人間に、私はなりたい。