日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

成功体験や他人からの評価と自己肯定感

「成功体験」は、自己肯定感を高めるための必要条件ではない。だが、十分条件ではある。

あればあるに越したことはない。

同じく、「他人からの評価」も、自己肯定感を高めるための必要条件ではないが、十分条件ではある。

あればあるに越したことはない。

 

 

本音を言えば、「必要条件だ」と個人的には言い切りたいところだ。

少なくとも、私個人としては自身の自己肯定感の低さには、圧倒的な成功体験の少なさと、特別両親からの評価が大きく影響しているように思う。

評価に関して厳密には、私の両親は何かにつけて言葉でこき下ろしはしなかった。が、褒めももしなかったし、要所要所で必要な「耳の痛い言葉」も吐くし、その後のフォローもしない人だった。

もっと言えば、身近にいる「自己肯定感が高い人、高そうに見える人」は、それなりの成功体験や他人からの評価を得ている人が多い。

 

 

だが、十分な「成功体験」や「他人からの高い評価」を持つ人間にも、自己肯定感が引く人がいるらしいのを、ネットを通じて「知識」として私は得た。

であるのであれば、「成功体験」も「他人からの評価」も、絶対ではないのだろう。

  

確かに、「成功体験」は上を見たらきりがなく、「他人からの評価」も、その評価者がだれかがとても重要だ。

特別「親」や「パートナー」からの「評価」や「受容」は、必要不可欠だろう。

もっとも、そこに難があるからこそ、多くの人は「自己肯定感の低さ」でいちいち悩むのだろうけれども。

 

とは言え、成功体験も他人からの評価もあればあったに越したことはない。

もっと言えば、成功体験を成功体験として、第三者言語化するのも重要だ。

結局、「自分以外の誰かが、自分に対して関心を寄せ、かつプラスの評価や好意的な感情を寄せる」のが重要なのだ。

 

対、子供に関しては「自己肯定感は、親(親に代わる保育者も含め)の言動がすべてだ」的な言説がまかり通っている。学術的にもその正しさは証明されてもいる。

けれども、悲しいかな、対大人に関しては「私の自己肯定感が低いのは、親の責任です。親がありのままを受けれてくれないのが悪いのです」は通用しない。

自己肯定感の低さを克服するのは、自分だけの問題とされる。

だからこそ、「他者との比較」でも「他者からの評価」でもない。「過去の自分と、現在の自分の比較であり評価」に人は重き気を置くべきだという。いや、そもそも比較も評価もしてはいけないのかもしれない。「現在の自分」が「過去の自分」より変っていなかったり、ましてや劣化してしてしまったら元も子もないのだから。

「ありのままの自分」の「受容」が重要なのだ。

けれども、それでは人は成長しない。

時に「独りよがり」や「成長がない」「聞く耳がない」と非難もされる。そう非難される人を、目の当たりにもする。

「ありのままの自分」を受け入れている人を、批判したり、排除したりする社会に、私たちはいるのだ。

だから「ありのままの自分」の「受容」は非常に難しいのだ。 

 

 

話は変わるが、今私は仕事が楽しい。

と言うのも、先輩に「以前よりも仕事が早くなった」と、声をかけてもらったからだ。

私の職場では、どの職場でも言えることかもしれないけれども、特別「スピード」を求められる。

日頃、「作業スピードが上がらない」と悩みを打ち明けており、いろいろとアドバイスをもらってもいたので、「お世辞」や「気休め」の可能性もあるにはあるが、とてもうれしい出来事だった。

より一層、工夫をし数字を求めていきたいと思える出来事でもあった。

 

もとより、自分の中でも「以前よりもスピードが上がっているな」と実感はしていた。作業の一部は数字でも表れるからだ。

 

きっとこの数字がなかったり、先輩からの一言がなかったら、仕事への意欲がまた違っていたかもしれない。

 

少なくとも、私にとって「成功体験」と「他者からの評価」は無視できない要素だ。