子供の失敗にイライラするのは、自分がその失敗をフォローできていないから。
昨日と今日、子供の仕敗にイライラをぶつけてしまった。
冷静に考えれば、「母親である私がしっかりと事前準備なりフォローをしていれば防げた失敗」だった。
よくある失敗と言えば、よくある失敗だ。
- イベント参加のための外出の際、長女が自分のマスクを忘れた。
- 朝食の際、次女と長女が揉めて、まったく口をつけてない牛乳を全てこぼした。
そもそも、リカバリー可能な失敗でもある。
マスクを取りに自宅に引き返す。
長女に協力してもらいつつ後始末をする。
だけの話だ。
ただ、私はそれらのフォローが気持ちよくできなかった。故に、イライラしたのだ。
一つ目の失敗に対しては、
- 出発前に私が口頭で長女の持ち物を確認する。
- 家を出る時からマスクをつける。
- 常に、子供用のマスクの予備を私が携帯いる。
ができていれば防げた失敗だ。
二つ目の失敗も、
- コップをテーブルの奥に置くように、都度注意する。口頭で注意を促す。
- 蓋つきのコップを採用する。
等の対処が可能だった。
けれども、私はそれができなった。もっと言えば、積極的にやりたいと思えなかったし、面倒くさいと思ってしまった。故の、失敗であり、そのフォーローが快くできないがゆえの失敗でもある。
結局自分に原因があるのだ。
そう考えてしまうと、ひどく自己嫌悪に陥ってしまった私だ。
結局、今までの私は、自分の様々な「苦手」を、
- 「苦手」のまま放置する。
- ルールを作るだけ作って、そのルールが自分の中でルーチン化しない。
- その場その場で、周囲の手を借りて土壇場で乗り越える。
- 「根性論」で我慢し、イベント化してその場をやりすごす。
等で、ごまかしてきたのだ。そのつけのだ。
自分ができていないからこそ、子供たちにも「どうすればその失敗が防げるのか」と言う視点でフォローできないのだ。
子供たちがマイペースなのは、私がマイペースだからだ。
子供たちがだらしのなく映るのは、私がだらしがないだからだ。
だから仕方がないよね、と思えないのが、自分でもとても傲慢だなぁ、とつくづく思う。