「気を付けてください」「はい、気を付けます」では解決しない。
ちょっと気になるエントリーを目にした。
恥ずかしい話だが、私もこの投稿者と似た思考を持っている。
会社員人時代の私は、とかく人の言動に過敏になっていた。
もともとの自身の気質もさることながら、失敗が多すぎて、さらに自分に自信がなくなり、必要以上に他人からの評価と失敗を恐れていたからだ。
自分自身がなく、へりくだってばかりいると、すべての失敗が自分の責任のように思えてくるものだ。
けれども一方で、数ある失敗の中には、周囲の人間が仕事を全うしていれば防げたであろうケースも少なくなかったりする。
自分に自信がなく、謝ってばかりいると、自分だけに100%非があるわけではないにもかかわらず、つい口癖のように「自分だけに非があること前提で」口先だけで謝ってしまう。
腹の中では、色々と思うことがあるにもかかわらず。
こうした矛盾を抱えて日々仕事をしていると、仕事に雑念が入り集中できず、また何かしらの失敗をやらかてしまう。
そんな悪循環に、当時の私は陥っていた。
当時私はこんなことを思っていた。
「私のことを信用していないのに、どうしてみんな私に丸投げするのだろう??」と。
サラリーマンとして、与えられた仕事を全うするのは当然の義務だ。
小さな会社であれば特に、得手不得手を考慮して仕事を配分してもらえるわけでも、適材適所で職種を変えてもらえるわけでもない。
頭ではわかってはいるものの、不毛な
自分「申し訳ありませんでした」
上司「次からは、気を付けてください」
自分「はい、わかりました」
のやり取りでは、根本的な解決には至らず。
自己責任の名のもとに、解決策を本人の自助努力だけに押し付けるからこそ、仕事ができない人間は仕事ができないままなんだよな、と当時は無責任に思うことも多々あった。一人で考えて行動できていれば、世話ないよ、と。
領収書を書く際、どんなに気を付けても、一冊20枚つづりの領収書に1,2枚書き損じをしてしまう私に、何度ももったいないから書き損じをするなと注意した上司がいた。
当の上司は、自分は書き損じをしてしまうから、と頻繁に私に代筆を頼んでいたにも関わらず、だ。
そこに矛盾を感じながらも、言い出せない場の空気、関係性を感じ取っていた私は、ただ上司からの注意を黙って聞くことしかできなかった。
世の中には、こうして自分の不得手な部分を他人に代行してもらうことで、上手く立ち回っている人間がたくさんいる。
仕事ができないからこそ、フォローしてもらえないのか。
フォローしてもらえないからこそ、仕事がますますできないのか。
ケースバイケースだろうが、自己責任と相手を突き放してばかりでは解決には至らない。これもまた事実だろう。
少なくとも、子供たちと日々接していると、特にそう思う。
適切なフォローの大切さを。
けれども、親である自分に細やかなフォローをしてやれる能力、余力がないがために、結果子供たちにその責任を押しつけ結果失敗を繰り返してしまう。
結局のところ、私は、当時の上司と同じことを、自分の子供たちにもしているのだ。
ネットや書店に行けば、仕事術やライフハック自己啓発などの情報があふれている。
けれども、次から次へと、新刊が発売され情報が更新され続けているのを目にするつけ、
「万人に当てはまる究極の解決法など存在しないんだな」
「仕組みを変える。習慣化する。ができないから同じ過ちを繰り返すんだよな」
とついつい言い訳をしたくなってしまう。
どうすれば自分に合った解決方法が見つかるのだろうか。