「子供が欲しい、欲しくない」に理由はいらない。
女性にとっては特に「子供が欲しいか、欲しくないか」との質問はとてもセンシティブで、プライベートな質問だ。
故に、よっぽどの関係性でないとしてはいけない質問だと、私は思う。
いや、もっと言えばよっぽどの関係性、例えば親子であったり、恋人であったり、夫婦であっても、本来はしてはいけないのではないだろうか、と私は思う。
そう考えるのは、私が産む性である「女性」だからろうか。
幸運にも二人の娘を授かった「母親」だからどうか。
社会は変わり、医療技術は進化したが、妊娠・出産はまだまだ女性に多くの変化をもたらす。
- 体調の変化
- 体調の変化に伴う働き方の変化
- 働き方の変化に伴う収入減
- 転職・就職・昇格の機会への影響
- 職を失うリスク
- 命を失うリスク
等が、個人にもよるがまだまだあるのが現実だ。
であるのであれば、
「子供が欲しい」
「子供は欲しくない」
との意思表示をする自分以外の人間に(そもそもそんな意思表示をさせること自体がナンセンスなようにも思えるのだけれども)する義務は本来はないはずだ。
とは言え、状況や互いの関係性によっては「子供を産む、産まない」の意思表示をしなければいけないし、その理由をきちんと説明しなければいけないのが現実だ。
結婚や離婚、就職や昇格等の要所要所のタイミングで「子供を産む、産まない」の意思表示求めれる機会はまだまだある。
理想論を言えば。
女性を子供を生む機会と思っていないのであれば。
子供を産めない男性自身が子供が欲しいからと言って。
職場の面接で、面接官が採用を検討している女性に長く勤めてもらいたいと思っても。
家の存続、跡取りのために孫が欲しいと思っていても。
「子供を産む予定があるのか、ないのか」を聞くのはタブー中のタブーだろう。
そんなこんなをつらつら考えつつ。
「3番目の子供が生まれてもいいかな」と軽ーく言い放つ夫に対して、お茶を濁したところ真顔で「どうして??」と返され、もやもやしてしまった私だ。
- 始めたばかりの仕事を辞めたくない。
- またあの悪阻の苦痛を味わいたくない。
- これ以上両親に負担をかけたくない。(両親に頼る前提というのおかしな話だが、夫が頼れない上、今までの妊娠経験から悪阻は免れなさそうだから)
- もし万が一、また流産を経験したくない。(今まで2回、長女と次女の妊娠の前に1回づつ私は流産を経験している)
等と理由はあるのだけれども、伝えるのがどうしておっくうに思えてしまったのだ。
自分の中で「これ以上子供を欲しくない」と言語化するのが、怖かったと言うか、ひどく非常な人間に思われるのが嫌だと思ったのだ。
もしかしたら「子供が欲しくない」との意思表示をする人間に対する偏見が、私の中にあるからこそ、そこに抵抗を感じてしまうのかもしれない。