日々、思うこと、考えること。

子育て中に、考えてしまうあれこれ。結論の出ない、個人的で偏った見解の考察が主です。

きれいに片付いている状態は、気持ちいいし、正しい。

仕事を始めてからと言うもの、不思議と休日に無性に掃除や片づけをしたくなるスイッチが入りやすくなった。

先日も、唐突に「そうだ。掃除と洗濯の勉強を一からしよう!!」と思い立ち、書店の実用書のコーナーを覗いた。残念ながら、私が求めていた本は見つからなかったものの、そこにはたくさんの「断捨離関係の本」や「丁寧でシンプルなライフスタイルを紹介・提唱する本」が平積みで並んでいて興味深かった。

もっと興味深かったのは、それらの本の著者のほとんどが「女性」だった点だ。

きれいに片付いたキッチンやリビングの写真が表紙に並び、とてもまぶしく見えた。

 

私自身、その手の本にとても憧れと興味はあるのだけれども、「シンプルで丁寧な暮らし」実行し再現する自信を持てず、結局手に取るだけ手に取り、買いはしなかった。

私にできるのは、自分のハードルを上げ過ぎないために、ネットで紹介されているブログを毎回読みながら、できるところだけを取り入れるぐらいしかできない。

 

 

さて、定期に「家族に物を捨てられた!!」エピソードをネットでは目にする。

面白いのは、捨てるのはたいてい妻であり、母親である「女性」である事実だ。

上記のエントリーでも、捨てたのは母親である。

 

 

本や雑誌に紹介されて異様な「素敵な暮らし」を目指さなくとも。やはり「ほどほどに片付いていて、ほどほどに掃除が行き届いている暮らし」のほうが「ものが散らかっていて、不用品と必需品が混在する、掃除が行き届いていない暮らし」のほうが断然好ましく多くの人間は考えるだろう。不便か快適かでいえば、後者のほうが快適だろうし、家事や日常生活の作業効率も上がる。

そのためには、不用品の処分が必要不可欠だ。

とは言え、常識的に考えれば、自分の裁量で処分できる不用品は私物に限られる。

家族の私物には手は出せない。

ただ、共用スペースに関しては、話が少し違ってくる。

一般的に、母親には自分の部屋がない場合が多い。よっぽど家が広くて、家事スペースや母親専用の書斎などがあれが話が別だけれども。たいていの母親は、何か作業をするときに共有スペースであるリビングを使うのではないだろうか??故に、共有スペースにある家族の私物を目にしたり触れる機会も増える。

故に、と言う表現は大げさかもしれないが、だからこそ、時に家族の私物を「明らかに不用品なのだから、捨ててもよいのでは」と捨ててしまう心の隙が生まれてしまうのではないだろうか??

 

もっと言えば、「部屋が片付いてる」状態の維持は、女性の性的魅力になりうる。

妻の母親の、第三者からの評価にも繋がる。

 

だからと言って、「家族の私物を許可なく捨てる」言い訳には決してならないのだけれども。

 

我が家では、まだ子供部屋もなければ夫の個人の部屋もない。もちろん、私個人の部屋もない。子供の私物は主にリビングに、夫と私の私物は物置として使っている部屋に収まっている。それでも、夫の趣味のための私物が廊下や玄関、リビングに溢れているのが現状だ。

 

私が夫の私物を捨てないのは、「家族の私物を勝手には絶対捨てない」のような立派な信念にのっとってではない。ただたんに、捨てた後も揉めるのが面倒だなと思うからだ。

世の中には、独断で家族の私物を勝手に捨て、後に湧き上がる家族本人からの抗議の声も耳も貸さず、平気でいられる人もいる。

けれども、私はそういうタフなタイプの人間ではない。

 

きっと世の中には、実行には移さなくとも、家族の私物を勝手に「捨てたいなぁ」と思っている人が、もっとたくさんいるのではないだろうか、と私は想像している。

皆、行動しないだけで。