真実が「ウソ」とされてしまう現実。
とかく女性が被害(特に性被害や暴力)を受けた時、周囲の人間に本人が勇気を出して真実を話しても、「ウソだ」と聞く耳を持ってもらえないケースが多々ある。
もっとも、実際には、被害に男女の別は関係ない。
ただ、性被害や暴力の被害は女性が受けやすい。
おまけに、男女の体力差の関係もあって、受ける被害は男性のそれよりも比較的大きい。
故に、女性が何かの被害にあい、その詳細を本人の口からきいたとき、聞いた側の人間は自分の経験や常識と照らし合わせ、しばし「信じられない」「ありえない」と言った感想を人は抱く。
暴力だけではない、いじめや介護・育児などの「大変さ」「過酷さ」のについての真実を当事者が語った際、時として人にその事実を素直には信じない。
偶然にも、実際に起きた事件の記事の中でも、被告の女性は真実を信じてもらえなかったエピソードが触れられている。
被告は22歳の女性で、介護を苦に祖母に手をかけてしまっている。
被告の女性は壮絶な介護生活(祖母の気性も荒かったようだ)を送っていたようだが、職場には理解を得られなかったようだ。
おまけに、健在だった祖母の実施である父親や伯父、叔母はそれぞれ健康上の理由や家庭の事情を理由に、介護に一切手を出さなかったらしい。
連日上司や同僚に怒られ、職場で介護の話をしても「ウソつき」と、取り合ってもらえなかったという。
さて、件の記事の中には、もっとひどい記述がある。
社会の中で償いの道を歩む女性だが、親族のサポートは期待できなそうだ。女性の父は、判決後の毎日新聞の取材に対し「刑務所に入るべきだ。『介護をやらされてかわいそう』との前提で判決が出ている。妹(叔母)とも話したが同じ思いだ。今後連絡することもないし、親としての愛情はない」と突き放した。
私は、この被告の女性の父親の冷酷無比な言葉を、真実として受け止められる。
それには、根拠があるからだ。
私はこの被告の女性の人となりを知らない。
けれども、公共性が高いWEB上の新聞記事に、被告の女性の父親が発したとされる言葉が記載されている。
だから、信用するのだ。
この被告の女性の父親が発した言葉はあまりにもひどい。
けれども、どうだろう。
もし、女性から口頭で話を聞いていたら。
おまけに、女性とは初対面だったら。
かつ、この父親の社会的地位が高かったら。世間や周囲からの評判も良かったら。
はたして、皆が皆この父親の言葉を信じただろうか??
こんな非人道的な言葉を記者に向かって発表できる父親である。
そんな父親の傍若無人な日々の言動に対し、職場の人たちが被告の女性からの言葉だけをもって信じられなかったのは、ある意味致し方ない面もあるのかもしれない。
人は、無意識のうちに人の話が「ウソ」か「真実」か振るいにかけている。
なぜ、人は人が話す被害を被害と受け止められないのか。
思うに、
- 被害の実態があまりにも常軌を逸しているから。
- 自分の常識や過去の経験から、その被害の実態を想像できないから。
- 被害の実態が、同居の家族等の周囲の協力や黙認なくしては成り立たないから。
- 被害当時、被害者に社会的地位がないから。
- 加害者に社会的地位があるから。
- 被害者当人の言葉からしか話を聞けておらず、客観性が乏しいから。
- 警察や法の介入がないから。
等の理由が挙げられるのではないだろうか??
いじめの話でも、ブラック企業の話でも、夫婦間の話でもそうだ。
警察の介入があり、法廷が開かれ、その結果を新聞の記事なりで知らされていたならば、多くの人はその事実を事実として信じるのではないだろうか??