「悪口」と「事実の羅列」の違い。
「悪口」「陰口」は良くないと人は言う。
悪意のない「事実の羅列」は「悪口」「陰口」ではないと言う人もいる。
私の母は口が悪い。
母自身は、ただ単に事実を口にしているだけで悪意は全くない。
私は母の言葉に、いちいち傷ついてしまう。
もっとも、常に辛らつな言葉ばかりを口にするわけではない。半年に一回、一年に一回ぐらい、いや数年に一回の、極々稀な出来事ではある。
けれども、彼女は私の心にぐさりと突き刺さる表現を使って言葉を発する。
先日も、私が幼稚園のバザーで作った髪飾りに対して
「貧乏くさい」
「貧相だ」
「こんな出来でよく人様に売ろうと思えるのか」
などと、こき下ろされる出来事があった。
私自身、「不恰好だな」と思ってはいたのだ。事実を言われただけなのだから、わざわざ傷つく必要はなかったのかもしれない。けれども、私の心は、条件反射的に、深く傷つき不愉快な気持ちになった。
おそらく、母の口調、前後の文脈、言葉のチョイスが、そう感じさせたのだろう。
きっとメンタルの強い母にとっては「悪口」でも「批判」でもない、「事実の羅列」でしかないのだろう。
とは言え、「完成度が高くない」と言う事実を、「貧乏くさい」「貧相だ」と、けなすような口調と態度で表現する必要もない。
私は子供の頃からとても疑問だった。
「悪口」と「事実の羅列」の違いについてである。今も昔も、私はこの二つの違いがいまいちピンと来ていない。
- 客観的な数値やデータを用いて、事実のみを羅列しているか否か。
- 主観的な表現を用いているか否か。
- 否定的な事実に対し、改善するための有用なアドバイスがあるか否か。
- 相手を目の前にして、相手を傷つけることなく、伝える事が出来るか否か。
- 相手から反論があった場合、その反論を聞く耳や、その反論を受け止める心の余裕があるか否か。
- 自分に解釈の間違いや、非があると解ったとき、その事実を認める事が出来るか否か。
等の理由を想像することは出来るのだけれども、正直自信がない。
言われた相手が「悪口だ」と主張すれば、「セクハラ」「パワハラ」と同様、きっと「悪口」になってしまうのだろう。
私は悪口は嫌いだが、自分自身、知らず知らずのうちに悪口を言っているはずだ。
少なくとも、夫や両親にはこのブログの存在を知らせていない。見せようと思わないい。いや積極的に見て欲しくないと思っている。
そういう意味では、このブログは、夫や両親の「悪口の羅列」なのだ。
母と私は、同じ穴の狢である。
上の娘を妊娠中、昼食メニュー(ハムとチーズのホットサンドと野菜ジュース)を問われた際、「栄養が足りてない!!子供に何かあったらどうするの!!」ときつい口調で母に言われた事もある。
この言葉、客観的に見たら、どう移るのだろうか??
そこに愛があれば、いちいち傷つくほうが悪いのだろうか??
このエピソードに対し、友人の一人は「キツイこと言うお母さんだね」と言ってくれた。自分が傷ついたとき、共感してくれる誰かがいるだけで、心がずいぶん軽くなれた。
傷ついた自分を、肯定してもらったように思えたからだろう。
自分を傷つけた言葉のを発した人間の無自覚な悪意に、妙に拘ってならない自分がいる。