仕事を仕事として見て扱ってもらいたい欲。
私は一昨日から今日までの三日間仕事だった。
夫は月曜日から明日の日曜日まで休みだ。
仕事のあった初日は夫は娘たちを連れて自分の実家(お昼前から夕食お風呂までのフルコース)へ。
二日目は、私が渋々ではあったが夕食に焼そばを作った。
そうして三日目の今日。今このブログを書いている時点では、私が作ると決まってはいないが、夫が作るとも外食するとも、総菜やお弁当で済ますとも決まっていない。
私が「夫の作る夕食」にくくる理由は、「作るのが面倒くさいから」だ。けれども、仕事を始めてからは、ただ単に「作るのが面倒くさいから」との理由だけではなくなった。
私が「夫の作る夕食」にくくるもう一つの理由。
それは「私の仕事を、仕事として見て扱ってほしいから」だ。「仕事で疲れているのだから、自分が夕食を作らとねば」と思ってほしいからだ。
もっと言えば、夫が「子供たちの相手で疲れた」との理由で夕食作りを免除される姿を、見たくないからだ。
夫はずるく、はっきりと「ポン助の仕事は趣味の延長でしかない」とは言わない。
言わないけれども、こうも毎回帰宅後「疲れた!!」とソファーに座り込む私が「夕ご飯を作る前提」で話を進める夫の姿を見ていると、そう思っているのではないか、と無性に疑いたくなってしまう。
もっとも、お盆やゴールデンウィークなどの大型連休中は特に朝から夕方(食材や日用品の買い物の時間を含めると、帰宅は5時前後になる)まで、昼食込みで娘たちの相手をしているのだから、夫が「何もやっていない」わけでは決してないのだ。
夫の夕食を作らない理由の一つである「子供たちの相手をずっとしていて疲れた」も非常に理解できる。
ただ、それは私も同じでもあるわけで。
夕食を作らないのはもちろんのこと。朝食も子供たちに用意せず。長女の宿題の見守り(今年のお盆からは、早朝から朝食前まである程度の宿題を済ませるようにしている)もせず。自分の朝食時に使った皿も洗いもせずな夫の姿を日常的に見ているせいで「私はそれ以上してるんですけど」とついつい恨み言を言いたくなってしまう。
夫としたら「たいして働いていないのだから、夕食を作るのは当然ボン助の仕事だ」と思っているのだろうけれども。
私の両親は、私が長らく専業主婦で、かつ仕事を始めたといっても時給の安いアルバイトの身分であるため「夫を立てろ」的な発言をしばしする。
具体的には、
「○○君(夫)は仕事で疲れているのだから、おいしい晩御飯を作って待ってあげなさい」
のようなニュアンスの発言だ。
そうして、仕事を始めた私が疲れて実家に娘たちを迎えに行くと、
「休むな!!子供たちの面倒をきちんと見なさい」
「早く帰って、晩御飯を作りなさい」
と追い立てるのがいつものパターンだ。
もっとも、両親にタダで娘たちの面倒を見てもらっている手前、両親に対しては違和感というか反発する気持ちというか、そういったマイナスな感情は一切ない。
ないのだけれども、そんな両親の言葉の影響からか「夫の仕事が休みの日で、かつ自分が仕事の日は、夫が夕ご飯を作ってくれてもいいのではないだろうか??」との疑問がずっと頭から離れないでいる。
いや、もっと言えば「夫に夕食を作ってもらう権利が多少はあるのでは??」とまで思ってしまう自分が正直いる。
以前にも触れたが、私が働く理由はずばり「お金」のためだ。
夫は世間一般的に見たら、それなりに稼いでいるほうだと思う。
ただ、
- 娘たちの教育費
- 私たち夫婦の老後の生活費
- 娘たちの習い事費
- 家族の旅行や遊行費(長女が生まれてから、自分たちのお金で泊りの旅行を一回もしたことがない。お金を理由に夫が渋り、いつも計画倒れで終わってしまっている)
などは心もとないのが現実だ。
もっとも、私のやりくりや節約がへたくそなのもあるのだけれども。
家族のために働いているのは私も同じなのに「短時間、かつ収入が低い」故に「仕事を仕事として見て、扱ってもらえない」のは違うのではないかな、と思わずにいられない自分がどうしてもいる。
皆さんはどうお考えだろうか??