パート主婦にとっての、費用対効果。
私の夫は、「家事・育児に支障のない程度に働いてほしい」とは、はっきりと言わない。
言わないが「疲れた顔をするぐらいないなら、イライラするぐらいなら働いてほしくない」とは言う。
もっとも、仕事をしていなくてもイライラもすれば疲れもするのだけれども。
「家事育児に支障のない程度に働く」とはすなわち、
「仕事をしてもなお、疲れを顔出さず、家事の質を大幅に落とさず、イライラもせず、家事・育児の負担をお金で解決せずに働く」なのだと、私は解釈する。
「家事・育児の負担をお金で解決せずに働く」は余分なようには思うが、得られるお金を考えると、そうなるのかなと個人的には思っている。
繰り返すが、私が仕事をする一番の理由はずばり「お金」ためだ。
稼いだお金直接生活費には回してはいないが、少ない収入の8割方は貯金をし、残りは不足分の子供や自分の衣服や食費などの生活に使っている。
今のところ、子供たちが小さいため、夫の収入だけでやってはいける。ただ、十分な貯蓄は、正直できてはいない。
夫も私も、決して倹約家ではない。
節約を楽しめるタイプでもない。
おまけに夫は、良くも悪くも自分の価値を見出さないものにお金をかけない。結果、便利家電、便利サービスにお金をかけたがらない。
故に現状、
- 宿泊を伴う旅行に、結婚後一度しか行けていない(しかもその一度は、私の兄の結婚式に出席するためであり、旅費や宿泊費はほぼかかっていない)
- 子供たちの習い事の数に制限をかける必要がある(一人一つまで)
- 外食等に気軽に行けない
- デリバリーを頼めない(夫の価値観からすると割高なのでNGとのこと)
- 生活に必要な家具等に関して新品に括れない(括らない)
等の制限がある。
今の暮らしで十分ではあるが、不満がないとは言えない。選択肢は狭まるし、何より「お金で時間を買う、手間を省く」との選択肢を持てないのは痛い。
それらを満たす意味でも、私には働く必要がある。
正直、私は「お金」はあればあるに越したことはないと思っているタイプの人間だ。
夫の収入を考えれば、私が「もう少し子供の手が離れて、家事・育児支障のない程度に働けば、子供の進学資金、自分の老後は安泰」とは決して思えない。
パート主婦に対して「主婦の小遣い稼ぎ」とか「主婦の小遣い程度」という表現が付きまとう。
が、主婦にだって小遣いは必要だ。その小遣いを「夫からもらえない」「夫の稼ぎから捻出できない」のであれば、そのための労働はある意味「生活のための労働」と言えなくもない、と私は考える。
もっとも、その必要な小遣いの金額にもよるのだろうけれども。
「苦手な早起きをして、がみがみ言いながら子供をまくしたてストレスを抱えながら出勤し、疲れた体で子供たちのお風呂・夕食・寝かしつけを一人でこなし、結果得たお金がこれぽっち」
と考えると、やるせないなとは思う。
けれども今は、「自分の力でお金を稼ぐ」のが単純に楽しい。
はたして、「パート主婦にとっての、費用対効果」って何なのだろう、とつい考えてしまう今日この頃の私だ。
ちなみに、学生時代・社会人時代の私は「バリバリ働ける人間しか、家事・育児に支障が出ても働く価値があるのではないか??」と思っていた。
けれども「お金目当てで働く」ためには、「家事・育児に支障が出るようようにしか働けない」のが現実だ。