幼稚園・学校
きっと、理想は、配慮はされるべきなのだろう。 だが、自分自身が配慮された経験が乏しいゆえに、それが自然にできないだけなのかもしれない。
人が何かに対しどう感じるか、とらえるのかは自由だ。批判するのは間違っているのだろう。 だが、あえて私は言いたい。 「いじり」を「おいしい」ととらえる価値観は間違っている、と。
前回の記事の続き。 こんなコメントいただいて、妙に納得してしまった私だ。 one-mam これすごく分かります。そこかしこにありますよね。私はこういう心理を苦労の怨霊と呼んで認識するようにしています。2020/11/16 「苦労の怨念」とは言いえて妙だなぁと思…
最近の次女のお気に入りの洋服は、恐竜の長袖Tシャツだ。それも、女児用の恐竜柄が店頭で見つからなかったので、男児用のそれを愛用している。 知らかなかったのだが、同じ数字のサイズ表記でも男児と女児とではサイズ感が違うのだと言う。 そのため、ワンサ…
性教育とは、性に関する教育ではない。人として「正しい判断をし行動する」のを教えるのが性教育なのだ。
「自分の問題と、他人の問題を分ける」とのアドバイスをよく見聞きする。 先日も先輩ママとの会話の中で、 「そこまで手助けしちゃだめだよ、きっちり本人に責任を取らせるなり、痛い目に合わせなきゃ」とのアドバイスを受けた。 一方で、子供の失敗に対し「…
自分ができていないからこそ、子供たちにも「どうすればその失敗が防げるのか」と言う視点でフォローできないのだ。
雨の降る猫の額ほどの庭を見ていた、小学2年生の長女の言葉だ。 「雨の日って、葉っぱかピカピカ光ってきれいだから好き」 「それに、雨の日はお外に出ないから、病気(コロナ)にかからなくていいね」 と。 雨の日の美しさを感じ取る繊細な感覚を持てるよう…
ちなみに、既製品のお弁当や揚げ物系の総菜やミールキットのメニューにを見ても、「長女が好きそう!!」と私はなかなか心躍らない。 そもそも、言葉は悪いが私は「長女が好きそうか、そうでないか」を考えるのに飽きてきているのかもしれない。いや、飽きて…
この問題は、「家事と育児に支障のない働き方」という、ひじょうにふんわりとしていて、かついいとこどりな花炊き方を女性に求めすぎたつけが招いた、ともいえるのかもしれない。
私はとても忘れっぽい。 それ故と言うべきか、長女も同じく忘れっぽい。 自分自身の「忘れっぽさ」を工夫と習慣化でカバーしきれていないのだから、長女が忘れっぽいのは仕方がないと言えば仕方がない。 まだ小学一年生の長女の忘れ物の最終的な責任者はやは…
今に始まったことではないけれども、長女の小学校も次女の幼稚園もインフルエンザ対策でマスクの着用が「義務」になっている。 けれども、私はこのマスクをちょいちょい忘れてしまう。 一応カバンに予備用のマスクを持たせているのだけれども、次女の場合は…
子供にとって「お下がり」だったら何が何でも嫌ではきっとない。 「お下がり」全般が嫌なのではなく「自分の好みではない、キレイでもないお古を押し付けられる」「新しい物を買ってもらえない」のが嫌なのだ。
下の娘は女の子だから「仮面ライダー」はナシで、「アナと雪の女王2」はアリだと、私は思っているのだろうか??
子供が学業やスポーツで成功すれば、子供以上に親がフューチャーされているのが現代日本のお約束でもある。 私たち世間もまた、「他人の子供の成功を親の成功と切り離す」ことができていないのだ。 親自身が、自分の子供の問題を自分と切り離して考えられな…
携帯を携帯しない人の単なる言い訳です。
先日、長女が退院(扁桃腺肥大のための切除手術)した。 予定日より3日遅れての退院だったが、無事帰宅することができ、家族皆ほっとしている。
現実の、すぐ身近にある(あった)(あったかもしれない)「いじめ」に目をそらし続けてきた人間が、当事者が教師であるだけで、赤の他人のいじめになぜここまで感情的になるのか、正直私には不思議で仕方がない。
私は、基本学校や幼稚園の方針に意見をしない。 というか、意見を言いたいと思ったことがない。 良くも悪くも多少の学校側、幼稚園側の落ち度は笑って許せるからだ。 もっとも、大きなトラブルを経験していないからこそ言えるセリフなのでもあるけれども。 …
世の小学一年生は、「ざくろ」を見たこと食べたことがあるのだろうか??
いらなくはないのかもしれないけれども、必要とも言い切れないのでは。と思えてならない。
卒園式を終えて。
最近、こつこつと幼稚園のバザー出品用の手芸品を作っている。 未使用の日用品という気の利いたものは我が家にはない。 幼稚園からもノルマを課せられているわけでもない。 かと言って、手ぶらで・・・・・・というわけにもいかない。 と言うことで、毎年拙…