私はとても忘れっぽい。 それ故と言うべきか、長女も同じく忘れっぽい。 自分自身の「忘れっぽさ」を工夫と習慣化でカバーしきれていないのだから、長女が忘れっぽいのは仕方がないと言えば仕方がない。 まだ小学一年生の長女の忘れ物の最終的な責任者はやは…
夫の「飲み会「堂々と手抜きができる、特別な日」とプラスに捉えるのは、対処方法としてはきっと正しいのだろう。 正しいのだろうけれども、何か違う気がする、と思う今日この頃の私だ。
この手のデザインは私個人は好きだし、可愛いなと思う。けれども、胸や下半身等のボディラインの誇張は積極的には求めていないのも正直な気持ちだ。
たったの週3日、9時から15時までの短時間ではあるけれども。やはりとても疲れる。 アルバイトで時給が安くても、勤務日数や勤務時間がんが短くても、仕事は仕事だ。 もし、身近なママ友の話として聞いたら「すごいね!!」「がんばってるね!!」と素直に思…
アルバイトを始めて4日の出来事だ。 その日は夫の仕事が休みだったので、両親(主に父)に長女の面倒を見てもらわずに済む貴重な一日となった。 ちなみに、次女は平日のみ幼稚園の延長保育を日額400円(14時30~16時)で利用している。 ところが、父に長女の預か…
私が夫にスーツの管理を「する」とも「したい」とも宣言した記憶はない。ただ、流れでなんとなく私がしていただけだ。 けれども、 「私がクリーニングに出さなければ、そのままずっと放置」 「直前になってスーツがないとあわて、私に保管場所を質問」 の繰…
「家事・育児に支障がない程度に働く」とはよく聞くが、この言葉通りに働くとしたら、現実は大して稼げないし、スキルアップの見込める職に就くのも難しい。
いよいよ明日が初出勤だ。 緊張と不安の一週間だったのだ。 ところが、ここにきてなんと体調を崩してしまった。一昨日から典型的な風邪の諸症状(のどの痛み、咳、鼻水、微熱)が出たのだ。 まずは体を休めようと思うのだけれども、家事が目に入り、目を閉じて…
「やらない」は「やれ」と言っているのと同じ。
今に始まったことではないけれども、長女の小学校も次女の幼稚園もインフルエンザ対策でマスクの着用が「義務」になっている。 けれども、私はこのマスクをちょいちょい忘れてしまう。 一応カバンに予備用のマスクを持たせているのだけれども、次女の場合は…
仕事をする、お金を稼ぐ苦労を知っているからだ。だから、常に感謝をしているし、労う心を持っている。 けれども、家事・育児に関してはどうだろう。 時折家事・育児のを積極的に負担しない夫側の言い分として 「気が付いたら妻が家事・育児をしていた(だか…
例え、意識して「家事をしない」選択をしようとも、 お願いしたり、指示を出したり、お膳立てしたりするのも「主婦」 後回しにしたり、先取りして「しない日」を作り出すのも「主婦」 お金で解決するとしても、そのお金をどこから捻出するのか、どこかで帳尻…
日頃も「手を抜く」選択肢が自分にあり、きちんと「手を抜いている」現状を踏まえると相手に「手を抜いていいよ」と言われても、全然嬉しくない自分がいる。 それは「特別」ではなく単なる「日常」だからだ。 だからどうしても「手を抜いていいよ」ではなく…
責任を問われるのは女性だけでなく、男性も同じだ。 反省すべきなのも女性だけでない、男性も同じなのだ。
「今」「助けて欲しいタイミング」で「求めているサポート」が得られるのが理想だ。 もっとも、そんな「今」がいつ訪れるかなど誰にも分からない。 分からないからこその、現状の期間限定、日数限定の育児休暇なのだけれども。
家事をライフワークとして突き詰め、楽しむのが正解なのだろうけれども。 主婦をしていて、その域までまだまだ到達できていない私だ。そんな自分の未熟さを反省すべきなのだろうか。
「失敗したらどうしよう」と焦り、不安に思う気持ちが、「自分を信用しない」と決めてから、「失敗を防ぐためにこうしよう」との前向きな気持ちに変わったのだから不思議だ。
はっきりとした正解がないだけに、夫を説得するのも気が引けてしまう自分がいる。
子供にとって「お下がり」だったら何が何でも嫌ではきっとない。 「お下がり」全般が嫌なのではなく「自分の好みではない、キレイでもないお古を押し付けられる」「新しい物を買ってもらえない」のが嫌なのだ。
以前までは「あると嬉しい」「あると気が楽」ぐらいの位置づけだった作り置きだったが、今では「ないと困る」「ないと不安」「やらないといけない作業」になってしまっている。本末転倒だ。
もしかしたら、注射に限らず、定期的な通院や、日常的に子供に何らかの医療的処置が必要な子供や赤ちゃんは、親が声を大にして周囲に言わないだけで、存外いるのかもしれない。 最初は親も子供も戸惑うだろうし、不安もあるだろう。子供も嫌がるかもしれない…
私だって超能力者ではないのだ。 黙ってソファーでテレビを見ている夫が実は、 「一息ついたら食器を洗いたい。」とか、 「洗濯物を干すのを手伝いたいけれども、子供たちが膝に乗っていて動けない。」とか、 「自分は掃除が必要なほど散らかっているとは思…
そもそも自分自身が「褒められる育児」や「褒められる教育」を受けていないのだ。 親である自分が、努力と心掛けは今後も続けるにしても、 「完全な平等(主観的にも客観的にも)」 を親も子供も求めすぎない、がある意味大事なのかな、とも思う。
一般論として、 「自分の意思で酒を飲み、結果意識を失い酩酊した女性」が自分の意思に反して異性と性行為に至った場合、この女性は性被害に遭ったとは言わない。 少なくとも、相手の男性は「レイプした」とは考えない。 当の女性も、「失敗した」とは思って…
被害者の行動や服装、職業選択の制限などが一番の改善策であり、防止策であってはならない。 そう声を大にして言える社会であってほしいと心から願う私だ。
車社会である地方都市では、生活の足として車は欠かせない存在だ。 だからこそ、日々必要に迫られて運転している人の中には、自分の運転技術の未熟さを自覚し「できれば運転したくない人」や、客観的に見て「できれば運転してほしくない人」がもっと潜在的に…
当然と言えば、当然の話ではあるのだけれども。 夫の家事・育児の優先度が下がると、私の家事・育児の優先度は上がる。
時折、「そこにいる」だけで、何も手も口も動かしていなくても、育児しているのかも、と思う時がある。 ただ、悲しいかな、その「そこにいる」重要性を、周囲の人間に認識してもらえないのは、やはり悲しい。
「言葉に表してはっきりと伝える」のは、単純に面倒だし、気も使う。頭も使う。言葉も、タイミングも考えなければいけない。 だから、こちらが言葉を発せずとも「察して行動して欲しい」と思うのは、人間として本能的に「おかしな」感覚ではないと、個人的に…
上の娘がまだ小さく、私とのお風呂を極端に嫌がっていた頃は、極力飲み会には参加せず、した時も早めに帰宅して出発前にお風呂に入れるなどの気配りがあったのもあって、その気配りを当たり前のように「しなくなった」今、余計モヤモヤしてしまうのかもしれ…